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氏神・産土神・鎮守神神棚の位置とお供物着帯の祝いと安産祈願
建築のお祭古神札納札賽銭しめ縄・紙垂神使神社の例祭
神社参拝の作法神前の鈴長寿の祝い鎮守の杜月次祭鳥居・狛犬
直会彼岸初穂料初宮詣服喪の期間
現在、氏神様や産土の神様、また鎮守の神様という言葉は、ほとんど同じ意味のように用いられていますが、元来氏神とは、氏族の祖先あるいは、その氏に由緒ある人格神、自然神を称し、産土神は、自己の出生や運命を司どる出身地、郷土の神で、鎮守神は、一定区域の土地や住民を守護する神として、城や領地、荘園等に祀られていました。
しかし、その土地の住民や出身者は、伝統的な共同体の中で、同族的意識が生れ、その土地に祀られた神を、祖先または自己をも含めた郷党社会を守護する神として、中世以後より同一視するようになりました。
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神社の御札を納める神棚は、家のなかでもなるべく清らかな、しかも家族の近づきやすいところがよく、その意味で食事をする部屋なども適当です。なるべく南向き、または東向きにおまつりすることです。二階のある家では、なるべく人の踏む場所の下にならないように心がけます。高さは、一段高い所が良いのですが、あまり高すぎて、掃除やお供えの出来ない所も困ります。
お供物は、丁重にすれば際限のないものですが、最も簡単な場合は、中央に洗米又はご飯、向かって右に塩、左に水の三品を供えます。これは人間の食物として一日も欠くことのできないものですから、神饌の中心となります。その他にも酒・餅・魚類・海草類・野菜などをお供えします。
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古くから、懐妊5ヶ月目の戌の日に、着帯の祝いを行う風習があります。お腹の赤ちゃんが元気なよい子でありますようにと願って岩田帯をしめます。戌の日を選ぶのは、犬のお産が軽いことにあやかってのことですが、この日には家族そろって神社に詣で、神様に懐妊の報告をするとともに、安産の祈願をします。
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家を建てるということは、いつの時代においても一世一代の大事業です。そこで古くから、家を建てる前に地鎮祭、棟上げの際に上棟祭、そして家が完成したら竣工祭と、建築の進展に応じて各々のお祭を行います。
地鎮祭(じちんさい)は、国語では「とこしずめのまつり」と読み、その土地の霊を鎮めまつる儀式です。建物を建てるにあたり、その敷地の主である大地主神をはじめ、その土地に関係の深い神様をおまつりし、土地を祓い、工事の安全無事を祈願します。
上棟祭(じょうとうさい)は、建物の棟木を上げるにあたって、建物の守護神や工匠の神様をおまつりし、新しく建てられる建物に災いが無いようにと祈願するお祭です。今日では木造の家屋以外でも上棟祭を行います。
竣工祭(しゅんこうさい)は、工事が無事終了し、建物が立派に完成したことを神様に感謝し、祝うと共に、建物が将来末永く安全堅固であるよう祈願するお祭です。
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神社で受けたお神札やお守りは、毎年、新しく取り替えます。それは神様の力のよみがえりを願うからです。嘉永6年(1853)発行の『近世風俗誌』に、「古札納めは、宝暦明和の頃以前は、毎年12月、御祓納めよ、古札納めよ、と呼び巡る。年中仏神の古札守に銭を添へてこれに与ふること、今は廃せり。」とあるところから見て、昔も、新年にあたり新しい御札を受け、古い御札はまとめて12月に納めたものと思われます。
御札は、祈願がかなったとき、またおまつりした後新たな御札を受けるときに、神様に感謝の気持ちを込めて、神社に納めるのが本義であります。また旅先などの遠方で受けたものを一緒に納めても構いません。
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賽銭(さいせん)は、もとは散銭といい、古くは銭の代わりにお米を用いて散米(さんまい)または打撒(うちまき)などと称していました。古代人の散米は、その呪力によって悪魔を祓い退けるためと、神饌として神に捧げるための二つの場合に行われたようです。お米が、貨幣の流通と共に金銭に代えられて、散銭となり、神に参る時に奉る銭の意味から賽銭と書くようになりました。米からお金に変わった今日でも、我が心の悪魔を祓うことと、神に捧げることとの、二つの意味があると思われます。
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しめ縄は、注連縄・一五三縄・七五三縄とも記し、当て字を用いて〆縄とも書きます。語源的に考えれば、シメは占めで、場所を占めるの意味、即ち「これから内は注意せよ」という意味の標識の縄で、門戸・神前などの神聖な場所を他と区別するため、引きめぐらせてあるのです。しめ縄には、縄の太さが首尾同様なもの、首がやや太くて尾の方が次第に細くなっていて、牛蒡注連(ごぼうじめ)と称されるもの、非常に太く短いもので大根に似ているから、大根注連と称されるもの、その他いろいろあります。
紙垂のシデという語は、古事記の天岩戸の条に「天香山(あまのかぐやま)の五百津真賢木(いおつまさかき)を根こじにこじて…下枝に白丹寸手(しろにぎて)・青丹寸手を取り垂でて…」とあるように、垂れるとか下げるとかいう意味で、木や竹や縄などにつけて垂れ下げるものですからシデと呼ぶのです。また、垂れた紙であるから紙垂という漢字をあて、普通の形が四垂れになっているところから四手とも書きます。シデは元、木綿(ゆう)や麻布などを用いたので、古くは木綿四手とか、木綿とも称したので、今日見られるような紙に変わったのは後世のことです。
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神宮・神社には、御祭神と深い関係にある動物を、神の使者もしくは、神使と言っています。
例えば、八幡さんは鳩・お稲荷さんは狐・天神さんは牛といったようにそれぞれ神使がいます。伊勢の神宮では、鶏を神鶏として大切にしています。
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例祭は、年に一度(神社によっては二度)行われる、神社で最も盛大で、大切なお祭です。
例祭の期日はその神社によってまちまちですが、御祭神に関係のある日や、御鎮座の日など、その神社にゆかりの深い日が選ばれています。
多くの神社では、例祭の日に併せて、神様が神輿や鳳輦にお乗りになって氏子区域をお渡りになる神幸祭が行われます。
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神社は、神様が鎮座されている神聖な場所です。神社にお参りするときは、基本的に次のような作法でお参りします。
境内に入る前には、服装を整え、姿勢を正し、軽くお辞儀をして鳥居をくぐります。境内に入ったら、参拝の前に手水舎で手を清め、口をすすぎます。その作法は、まず右手で柄杓を持ち、左手をすすぎ、次に右手をすすぎ、次に左手で水を受けて口をすすぎます。このとき、柄杓を直接口につけないようにしましょう。最後にもう一度左手をすすぎます。
神前に進んだら、小さくお辞儀をし、お賽銭を奉納します。次に二拝二拍手一拝の作法で拝礼します。まず深々と二回お辞儀をし、次に胸の高さで二回拍手を打ちます。このとき心の中でお願い事やお礼を申し上げます。次にもう一回深々とお辞儀をし、さらに小さくお辞儀をしてその場から下がります。境内を出るときもきちんとお辞儀をします。
こうした作法は、神様を敬う気持ちを形に現したものですから、真心を込めて、正しい作法でお参りしましょう。
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『倭訓栞』(わくんのしおり)に「鈴とよむは音の清しきより名づくるなるべし。(中略)神慮をすずしめるの意なり。」とあるように、鈴の音は実にすがすがしい音を出しますから、神代の昔から鈴を神事に用いていたのです。鈴を神前に掛けることは、神様をお慰めするためのもので、同時に拝む人も清いすがすがしい気持ちになることが出来ます。
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いつの時代においても、長寿であることは大変おめでたいことです。我が国では昔から、年齢によって次のような長寿の祝いを行います。
還暦(六十一歳)生まれ年(えと)が再び還るという意味です。
古希(七十歳)「人生七十、古来稀なり」ということばからつけられました。
喜寿(七十七歳)「喜」という文字をくずし書きにすると七十七と読めることからつけられました。
傘寿(八十歳)「傘」という文字の中に八十が含まれていることからつけられました。
米寿(八十八歳)「米」という文字を分解すると八十八になることからつけられました。
卒寿(九十歳)「卒」をくずし書きにすると九十と読めることからつけられました。
白寿(九十九歳)「百」という文字から一を取ると「白」になることからつけられました。
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多くの神社が木々に囲まれて鎮座され、鎮守の杜として親しまれています。もともとは森自体が神様の坐すところであり、のちに社殿が建てられるようになりました。鎮守とは、神様が鎮まり坐して守護するという意味で、鎮守の神様が、その土地に住む人々をあつく守護されるのです。
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月次祭は「つきなみさい」と読み、1日や15日など神社ごとに定めた日に毎月行います。神様にその月の氏子・崇敬者の安全を祈願し、天皇陛下のご長寿と、日本の国の繁栄と発展とを祈りつつ、世界の平和をも祈る祭りです。
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鳥居の語源については、通り入りがつまったものとも言われます。鳥居、即ち、鶏の宿り木の形状に似ているところから称した言葉であるとも言われます。鳥居は「屋根をふかぬ門」ですから、昔は住宅にも用いられたかも知れませんが、後には神社や山陵だけに用いられるようになり、今日では、鳥居は神社の聖域をあらわす最も著名なシンボルになっています。
狛犬は、高麗犬、胡麻犬とも書きます。原型は、オリエント・インドにおけるライオン像に起こり、上代に大陸から伝わったもので、日本では、初めは宮殿の調度の一つとして用いられ、後に、魔除けの意味で置かれました。次第に社寺にも用いられるようになり、今では神社の守護とされています。
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ナオライは、ナオリアイでありお祭りにご奉仕した多くの人が、そのお勤めを終わって平常に戻ろうとする時に、神様の霊力を身に受けようとする、これが直会の本義です。一度神様にお供えした神饌には神霊の御力がこもっていますから、神霊を我が身にしっかり受け入れるために、おさがりの神酒や饌米を食べるのが直会の行事です。作法としては、手を一つ打って両手で酒盃を受け、三口でいただくのが普通で、この拍手を礼手(らいしゅ)と称します。
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春の彼岸の本来の意味は、春の農耕開始にあたって祖霊を祭ることで日本固有の風習です。わが国には正月、春の彼岸、盆、秋の彼岸の4回祖霊を祭る風習があり、このうちの彼岸は春分と秋分の前後3日ずつの計7日間をさしています。
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初穂とは、その年最初に実った穀物を神社や朝廷に奉るものの称で、稲穂を神前に懸けて奉る場合は懸税(かけちから)といいます。単にお米ばかりでなく、五穀や果物はもとより、野菜でも海草でも魚類でも、初物は先ず神様に、というのが我が国古来の習慣でした。初穂料とは、神に捧げる初物の代わりということで、今日では神に奉る金銭の総称となっています。
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子供が生まれたことを子が授かるとか、子が恵まれたと表現します。これは、生命の誕生は神様の思召しによるもので、そのみたまを受けて生れてきたという考えを意味し、「人は神の子」という、日本民族の伝統的な考え方に根ざしています。そこで子供が生まれると氏神様や崇敬する神社に初めてご挨拶に参る。これが初宮詣です。
初宮詣の日取りは、全国各地で差異がありますが、だいたい生後三十日前後で、神社に家族揃って詣で、神様の恵みに対し感謝を捧げ子供の健やかな成長を祈ります。
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親戚に不幸があった時など、お祝いごとや神社への参拝をどうするかで誰もが迷った経験があると思いますが、一応下表を基準とし、神詣でや神事に関係することを避けるべきでしょう。それは、死の穢れを忌みはばかるというだけでなく、悲しみに満ちた心では神に一途な心で接することが出来ないため、かえって神様に失礼になるからです。

死亡者 死亡者
父母 50日 嫡子 20日
祖父母 30日 末子 10日
曽祖父母 30日 伯叔父母 20日
配偶者の父母 30日 兄弟姉妹 20日
30日 従兄弟姉妹 3日
20日 甥姪 4日
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